[]ティアラ文庫と草食男子

普段は、夜自宅でこのブログを書いているのですが、今日は会社です。
え? そんなことしていいの? と思われるでしょうが、今日書こうとしているのは、半分仕事みたいな独白です。
自分の考えを整理するために書いています。なので論旨とかぐちゃぐちゃになるかもしれません。

さて、本題ですが、ずっと感じていたことがあります。
仕事で若い世代の男性と接していて、感じることなんですけどね。
それはどういうことかというと、淡泊というか、従順というか・・・ そんな人がもしかして多くなった? という感触です。

飲みの席で、「彼女いるの?」とか聞くと、たいていいないと答えます。
「欲しくないの?」「欲しいです」
「じゃあ、声かけすればいいじゃん?」「いや、機会がなくって」

確かにね、仕事場は女子率とても低し!なので、機会がないのもうなずけるのですが。

「じゃあ、出会い系サイトとかやってみればいいじゃん?」「ええっ!(絶句)」

出会い系サイトって、買春やら淫行条例違反やらでイメージ悪いからなあ。悪徳なところだとサクラもいるかもしれない。でもまじめなサイトもあると思うし、mixiとかのSNSでも出会いのチャンスがあるかもしれないし。

でも彼らはたぶんやらないんだろうなと思います。

もう僕はそんな対象にならない年齢になっているので、よくわからないのですが、最近、ちまたでは草食男子って言葉がはやっていますよね。
草食男子の定義は、「女性とコミュニケーションはとれるけど友達感覚のまま。彼女をつくるより一人のほうが楽しい」男子ということでいいんでしたっけ?
これに該当する男子って、実はあまり多く知りません。一、二人なら心当たりありますけど。でも身の回りで圧倒的に多いのは、「女性とコミュニケーションがとれず彼女ができない。しかし積極的に自分から動こうとはしない」男子です。
(タイトルは、キャッチーなものにしようとしてこうなっていますが、実はこの文章と草食男子とはそんなに関係がなかったり・・・)

でも思い返すと、僕自身、まだ若かりし頃、女性へ声かけできたかというと、ぜんぜんダメでしたね。モテなかったし。それでもなけなしの勇気をしぼって二、三人とはデートにこぎつけたような記憶はあります。あ、その子たちとは二度目のデートはなかったのですけどね。
性欲は人並み(もしかすると人並み以上?)あったと思うので、それが原動力となって、苦手な声かけしてたのでしょう。でも今身の回りにたくさんいるそういう消極的な男子は、ちょっと性欲少ないのかな? それとも自家発電の方がいいんでしょうか? 
(下品な表現や、女性蔑視な表現を含んでいるのは自覚しています。不快に思われた方、本当に申し訳ありません)

いや、そんなことはないと思います。
やっぱり、怖いから積極的になれないのではないかと思うのです。自分が傷つくことが怖くって、相手が傷つくことが怖い、そういう男子が増えているように感じます。
臆病で優しいのでしょうね。いや臆病ということについては、僕も昔はそうだったような自覚があります。それどころか、若い男性の大多数は臆病なのかもしれません。

社会にでて、自分がちっぽけな存在であることが身にしみる。できることよりできないことの方が多い。でも自分はもっと大きな存在だと信じている。いや、そう思いたい。だから虚勢をはったり、一転、臆病になったり。そうやって日々少しずつ傷ついているから、もうこれ以上傷つきたくないのかも、なんて感じます。

ティアラ文庫をずっと読み続けてきて、あと4冊というところまできたのですが、ずっと感じていたちょっとした違和感というものの正体に、ようやく近づいてきたかもしれません。(だからこういったエントリーを書いているわけです)

ティアラ文庫の男性キャラは、自信に溢れていて、逞しい男性が多いですよね。いわゆる真っ当なヒーローが多いと思います。
まあ、中には女性に都合がよすぎる男性キャラもいたりするので、そういった作品だとちょっと読むのが辛かったりするのですけど、大半の作品はそうでなく、男性の目からみても、とても素晴らしい男性キャラたちだと思います。

そう、それが、ティアラ文庫を読んだ際に感じるちょっとした違和感の理由のようです。実際はね、臆病で実力がなく、くよくよ悩む意気地なしというのが、自分の(男性の?)真の姿なわけで、それを知っているが上に妙に居心地が悪い、だってティアラ文庫は女性向け小説だから、自信に溢れている男性像(ヒーロー)というものを女性が求めているのだろうなと無意識に感じているからです。

社会生活をおくる上では、ある種の「厚かましさ」は必要なものです。
最初からそれを持っている人はいいのですが、僕も含めて臆病な性質の男性は、学校を卒業した時点ではそれを持っていません。
仕事をしていく上で感じるプレッシャーや叱責、失敗に対する自戒の念などが積もり、それに対処せざるをえなくなって、だんだんと「厚かましさ」を獲得していく。社会人となったからこそ身につく、後天的な人格ではないかと思います。

だからこそ、「女性とコミュニケーションがとれず彼女ができない。しかし積極的に自分から動こうとはしない」臆病な男性たちに伝えたいことがあります。
まず、臆病なこと自体は悪いことではないということです。僕は自分を肯定したいから、真にそう思います。
そういった男性たちのことで、僕がよくないと思うのは、自分が傷つくことを恐れて一歩を踏み出さないのは、本来早期に獲得すべき社会人としての人格、ある種の厚かましさを獲得できるかもしれないチャンスを失っているということです。それは、とてももったいないことに思えます。
失敗を恐れずチャレンジすることが尊いのは、仕事も恋愛も同じように思います。

仕事場でそういった男性たちに囲まれていて、僕はいつももどかしく思っています。成長というのは、じわじわとほんの少しずつ成長するものだと思います。しかし成長するチャンスを逃してしまうと、全く成長できないじゃないですか。
僕はどうもティアラ文庫を読んでいるときに、男性キャラを自分と比較したときに生じるちょっとした劣等感とともに、上記のもどかしさも感じていたようです。

でも、そのことがわかったことには感謝しています。
普段、読まないジャンルの本を読むというのは、なんだか思いのよらない気づきを与えてくれることがあるのですね。