東京都青少年健全育成条例改正「非実在青少年の表現規制」に反対します。

先週もまた飲み会が続き、体調も戻らず、投稿をさぼってしまいました。4/14にわかつきひかるさんもご自身のホームページで東京都条例について反対の意見を書いていましたが、それをうけた記事を書いていてなかなか書き終わらず、時間だけが流れてしまいました。

僕もブログでこの都条例に反対の記事を書いたことがあります。
雑感・・・その8
ただ、タイトルがなにかわからないものでしたので、今回はタイトルに明確に反対と書きました。

さて、今日はわかつきひかるさんの投稿にもありましたが、朝日新聞に書かれたアグネス・チャン氏の記事について、その文を引用しつつ、反対意見を書きます。
なお、引用文は、全部繋げると全文になるようにしていますし、引用の際、順番を入れ替えるようなことはしていません。つまりここに引用した順番に読んでもらえれば、アグネス・チャン氏の意見文全文になります。
これは、著作権法での引用の範囲を逸脱する可能性もありますが、僕が自分の都合のよい部分だけをピックアップしていないことを証明するためにそうしています。


(アグネス氏の意見文の引用・・・その1)
東京都は既に1964年から「不健全図書」の規制を始めている。今回の改正案は18歳未満の子どもたちの手に渡らないようにしているだけ。私も表現者ですから、表現の自由の大切さは身にしみている。条文を読めば、子どもに有害なものだけを問題にしていることは分かるはず。明らかに子供と思われるキャラクターが性的な虐待を受け、うれしがるマンガがコンビニなどに並んでいる現状を放置していいのか。
(引用おわり)


まず最初にひとつ疑問が生じてきます。
なぜ1964年から「不健全図書」の規制を続けているのに係わらず、今になって規制を強化する動きがでてきたのかという点です。例えば、青少年の健全な育成になにか不都合が生じはじめたのでしょうか。それは統計的に有意な数値になっているのでしょうか。そしてそれは「不健全図書」の規制が不十分なことが原因であると、十分な検討が行われたのでしょうか。これは文の後半の反対に繋がりますので、一旦ここでは疑問の提示でおえます。

次の問題はこの部分です。
明らかに子供と思われるキャラクターが性的な虐待を受け」
まさしくこの部分が僕にはこの問題の根幹だと思っています。
これを条文では、非実在青少年と呼んでいるのですが、これをどのように東京都条例が定義しているかが問題なのです。

改定案第七条第二項
年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交又は性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

「視覚により認識」するとの文がありますから、対象はマンガ、ゲーム、アニメと小説の挿絵などと考えられます。
そして、服装や背景などによって年齢を想起させるものが18歳以下と認識されるキャラクターが問題になるわけですから、普通に解釈すると、例えばセーラー服を着ているキャラとか、教室が背景に書かれているシーンで、セックスまたはそれに類似した行為、例えばフェラとかペッティングとかをしていると、規制の対象になる可能性があるわけです。

キスはOK?とか、乳房を露出したらどうなの?とか、疑問がつきません。
運用や判断ひとつでどうにでもなる、つまり判断の恣意性が一番の問題なのです。
また、規制の対象は、性的虐待とは限っていません。
「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれ」というとてもあいまいな表現になっているため、ここでも恣意性が入ることが懸念されます。

つまり、アグネス氏が、「条文を読めば、子どもに有害なものだけを問題にしていることは分かるはず。明らかに子供と思われるキャラクターが性的な虐待を受け」と書いていますが、それこそ逆に、アグネスさんは、本当に条文を逐一読みましたか?とお聞きしたいぐらいです。
条文はそのように書かれていません。

一般に、法律や条令は、さらに細則を定め、実際の運用を行うのですが、今回のこの条例の改定にあたって、まだ細則は案すら公開されていません。
つまり、どのように運用するかということは、全て都の担当部署の胸先三寸にかかっているといえます。

さらにアグネス氏は、こういった表現のものがコンビニに並んでいると書いていますが、本当にそうでしょうか?
あまりそういった際どい表現物はコンビニには置いていないという認識が僕にはあります。ちなみに実在する女性の裸を掲載した写真雑誌は多数コンビニに置いていますが、それは今回の規制強化とは関係がありません。
今回の規制の対象はマンガなどなのです。
僕の認識が誤っているのかもしれませんが、逆にアグネス氏が問題としている表現物は、僕の基準からするとたいしたものでないというレベルのものかもしれません。
ええ、そこが問題なのです。
基準があいまいで恣意性があれば、表現の自由はすぐに死んでしまいます。だってそうですよね。描きたいものを描いてもいいかどうかわからない場合には、リスクを恐れて描けなくなってしまいますよ。
それを、表現の自由を侵すという表現以外になんと言えばいいのでしょうか。


(アグネス氏の意見文の引用・・・その2)
マンガやアニメは現代日本が誇る文化であることに 異論はないが、そのなかにひどい「ロリコン」マンガが混じっており、現在の条例では成人指定が出来ない。
インターネットで世界中に広がり、日本が「ロリコン」大国の汚名を着せられてはたまらない。
(引用おわり)

ここには、明らかに事実認識が異なると主張します。
かなり際どい(アグネス的にはひどい)「ロリコン」マンガはありますが、出版社の自主規制によって、ほとんどは18禁指定されています。
ここでも僕の基準と、アグネス氏の基準が異なるから、見解の相違となる可能性は否定できませんけども。
なお、日本の強姦などの重大な性犯罪の発生率は、世界的に見ても低い水準にあります。「ロリコン」大国の汚名といいますが、それはどういった水準の話なんでしょうか。




(アグネス氏の意見文の引用・・・その3)
子どもの性虐待を描くポルノを子どもが見てしまうことの問題は2つ。
ひとつは子供という存在自体をおとしめる。これは広い意味での人権侵害。もうひとつは虐待や暴力を受け入れ喜ばなくてはいけないと思い込む誤ったしつけ効果を招く恐れがある。教育に悪影響を与える根拠はあるのかと言う主張には無いとは言い切れない。少なくとも教育上いい効果が期待できるからと進んで子供に見せたいと思う親はいない。
表現の自由」という美しい言葉で守られるべきものでしょうか。
(引用おわり)

そろそろこのアグネス氏の論の核心にはいってきます。
2つの問題が提起されています。
1つめは、「広い意味での人権侵害」
そもそもここがよくわかりません。今回の改正は、実在する子どもを利用したポルノを規制する条例改正ではないのです。それはすでに児童ポルノ防止法で禁止されています。
18歳以下と思われるキャラクターがセックスをすることで、人権侵害があると主張されていると解釈しますが、僕には、誰が被害者なのか?ということがわかりません。被害者なき人権侵害というものは、どこの法律や条例に規定されていますか? ありもしない架空な権利を作るのは、おやめになっていただきたい。
たしかに、見たくない人に性行為を描写したマンガを見ることを強要するとかだと問題があるでしょう。でも表現するだけで、人権侵害になるのでしょうか。
つまり、見たくない人の目にふれないよう、売り場の制限を行うという規制強化ならば、まだ理解できるのです。しかし、今回は、表現そのものを規制しようとしています。

2つめは、「もうひとつは虐待や暴力を受け入れ喜ばなくてはいけないと思い込む誤ったしつけ効果を招く恐れがある」と書いていますが、虐待、暴力以外の性行為であっても制限できる条文である以上、こういった問題点の挙げ方は適当でないでしょう。
もし、虐待、暴力を含む、合意のないセックス描写が問題なのであれば、そう条文に書くべきです。
今の条文は、真剣な愛情の結果としてのセックスであったとしても、担当者の見解によっては規制対象になるかもしれません。


(アグネス氏の意見文の引用・・・その4)
子どもを性的な道具として見たいという少数の特別な人の「趣味」のために、一部の出版社や作家の商売のために保護されるべき多くの子供たちの健全な発達が脅かされている。東京都という権力が線引きをするのが心配と言うが、ペンを持っている人たちは大きな権力を持って子どもをどんな風にも扱える。現行条例をすり抜けてペンの暴力やペンによる搾取が子どもたちを脅かしている。
決して芸術や文学作品を窒息させるわけではない。子供の性虐待を描いたポルノが子どもたちが容易に手に取れる場所に置かれている現状を考えてみよう。今回の都条例はきっかけを与えてくれるチャンスだと思う。
(引用おわり)

僕は、子どもを性的な道具として見たい欲望のために反対しているのではありません。そもそもこう決め付けられては、論議がかみ合わないだけです。
ペンの暴力というものがないとはいいませんが、子どもの育成に適当でない表現物があれば、それを子どもに売らない方策を考えればいいのです。牛刀をもって鶏を割く必要は全くありません。効果的で、穏当な方策をとるべきだと申し上げます。逆に、小事を処理するのに、大掛かりな手段を用いようとしているのにかかわらず、そういった小事をなす人を暴力とか搾取とかのセンセーショナルな言葉を使って非難することの方が、「ペンの暴力」なのではありませんか?

図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者に、制約を課すから、表現の自由を奪うと批判されているのです。業界団体も自主規制をしていますから、現行条例でもレーティングを徹底し、売り場を制限することで、十分に所期の目的を達成すると主張します。
そういった現行条例の運用、あるいは業界団体との話し合いなどを省いて、一方的に条例を変更しようとしている点に大きな問題があります。
この条例改正のための議論については、議事録も公開されています。
理論的な話もありますが、とても感情的な答弁も目立ちます。
本当に、この条例を改正することで、青少年が健全に育成できますか?
施策には目標が必要だと思いますが、どうやって効果を検証しようとされていますか?
科学的で統計に基づく根拠を示すなど、感情論ではなくこの条例改正の有為性をきちんと説明してもらわないと、理知的な話などできないではありませんか。


最後に、僕は性犯罪を嫌悪しておりますし、その助長をしたいなど全く思いません。
逆に、重大な性犯罪、強姦であるとか性的行為を目的とした監禁であるとかについては、量刑が足りないと主張しますし、性犯罪者の監視制度を導入すべきだと思います。
また、性犯罪の被害者へのケアをもっと丁寧に予算をかけて行うべきと感じていますし、司法の場で被害者のプライバシーが守られるような方策がもっととられねばならないと思います。

実際の性犯罪を防止するための規制には喜んで賛成しますが、表現を規制することは、それらを防止する方策としては大きな効果があると思えませんし、極めて社会的コストが高いものになると思います。
慎重であるべきです。


追記
改正案第八条は、都知事が不健全な図書類等の指定ができる範囲を定めています。ここでは、非実在青少年に対し「強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもの」と制約がついています。
これでも表現の自由の抑制がありますが、かなり制約の範囲はせまくなります。
もしこの条例改正案が、本当に「強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもの」を規制する目的であれば、第七条(努力義務)も同様であるべきです。
そして、第八条の改正案に書いている「東京都規則で定める基準」の案を早く公開することです。
それがなくては、全く議論ができる環境ではありません。