[]新聞は「活字離れ」ってすぐ言っちゃうんですけどね。

今日(2009/7/19)の読売新聞の編集手帳は、防衛白書の発行部数が少なくなっているということを題材にしているのだけど・・・

冒頭からこう書いています。

「活字離れの悩みは役所も一緒らしい。(後略)」

ふーん、「活字離れ」か〜 この前からずっとこの用語の定義が気になって仕方がないのですけど、これって、「最近人々が活字(文章)を読まなくなった」といいたいのでしょうか?
この編集手帳の文脈からするとそう読み取れるので、その前提でこの記事書いていますけどね。

確かに「新聞離れ」は起こっていますよね。ネットのニュースの方が新聞より速報性が高いし、特に海外の記事は、日本の新聞読んでもほとんど情報がないし・・・
語弊があるといけないので補足しますが、大学入学で一人暮らしして以来ずっと新聞は取り続けています。でも最近、重要なニュースは新聞が届くより以前に知っているし、内容も詳しく知っています。新聞が手元にないと困るなと感じるのはテレビ欄を見たいときだけ、なんて状況なのですね。
もし新聞社が「新聞離れ」のことを「活字離れ」と呼んでいるのだとすると、それは単に針小棒大なだけだと思います。

海外(特に欧米)では、「新聞は死んだ」と言われています。
「欧米の新聞は、既に死んでいる」(日経ビジネスオンライン)
(申し訳ありませんが、上記の記事を全部読むためには、日経ビジネスオンラインに無料会員登録する必要があります。)

新聞社のビジネスモデルがすでに終焉を迎えようとしているという事象を、「活字離れ」とすりかえるのは、(ネット利用度の低い)読者に誤った情報を与えかねないのではないでしょうか。
今日の記事の中で主題となっている「防衛白書」の発行部数の件ですが、「防衛白書」は防衛省のホームページの中で全文公開されていまして、そりゃわざわざ政府刊行物センターまで行って、買う人は少なくなりますよ。

平成21年度版 防衛白書防衛省ホームページ)
本文はPDFで提供されています。ただし写真は書籍のみ掲載です。

防衛白書は、たいてい私はネット利用して調査します。
国会図書館やら政府刊行物センターに出向くのは、よっぽどのときです。(私は全く防衛とかに関係のない一般市民ですが、それでもたまに読むことがあります。)

さて、話は変わりますが、僕は日本に住む人(日本語ネイティブな人)は、逆に活字中毒になっていると思っています。
特に女性は、日本の有史以来、最高に文章を書き、文章を読んでいるのではないでしょうか?
だって、行き帰りの電車の中で見かけるのは、多数の女性が携帯でメールを読み、返信を書いている姿なのですが・・・
きっと毎日すごい量の文章を読み書きしているんじゃないの? そう感じています。

僕自身も、仕事でメールを読み、書き、ネットで情報を調べ、ブログを書きという毎日なのですが、それは「活字離れ」な事象なのでしょうか? 僕の仕事関係の知り合い(同僚を含めて)は、皆メールなしには仕事できない状況になっているように思うのですが、僕の周りだけ特殊なのでしょうか?

すみません。回りくどくあれやこれや書きましたが、起こっている事象を正確に捉えるべきだと言いたかっただけです。

今起こっているのは、「活字離れ」ではなく、情報(文章、活字)にお金を払う人が少なくなってきているというビジネスモデル上の問題と捉えるべきと思います。教育とか文化とか大上段に構えるのではなく、単にマーケティング面に課題があるだけです。

でも、かなり大きな課題ではありますね。
インターネットの利用を前提に、どうやって情報を提供する(文章を書く)側に収益をもたらすビジネスモデルを作るか。
それに皆苦しんでいるように見えます。それに失敗して、たくさんの出版社が倒産しているのも事実です。

今、決定打となる答えはないように見えますので、試行錯誤でやっていくしかないのでしょう。今日はご紹介しませんけど、実際にいろんなことを試している方々がいらっしゃいます。
僕はそんな取り組みをしている人や、苦しんで切磋琢磨している人にどちらかというと共感を持ちます。今までの古いビジネスモデル上にあって、「活字離れ」という一言で事象を捉えようとする人たちよりも・・・。